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続編:SCRIBE WINERY

THE SCRIBE
http://www.scribewinery.com/

現在のソノマがワインの街になっている所以は、ドイツ移民によるものである?

1848年頃にアメリカ合衆国のカリフォルニアで起きたゴールドラッシュ。
金を探し一攫千金を狙う多くの国々の人々が、海や陸を渡りカリフォルニアに集まり、
一時カリフォルニアの人口が一気に20万人にまで増加したほどのコト。
日本ではジョン万次郎が唯一日本人のその時期に金を求めて渡米したことで知られているが、
実際、そのゴールドラッシュで恩恵をうけた人々が、その後どのような事業にそのお金を活用したかどうかは、あまりに人数が多すぎて辿りきれないほど。
ソノマにスクライブ・ファーム(SCRIBE FARM)がオープンする前の歴史をたどると、
そんなゴールドラッシュをきっかけにドイツから移民してきたある人物に行きつく。

その名は、エミル・ドレッセル(Emil Dresel)。
1819年にドイツの有名なシャンパン製造をしていた父をもつ家に生まれたエミルは、建築を学びその職についていた。彼より先にアメリカ合衆国はテキサスで、金を発掘していた兄弟のジュリウス(Julius Dresel)を追って、1851年に渡米。そこから5、6年、ジュリウスと共にゴールドラッシュの恩恵を受けながら様々な土地を旅する日々を送る。

そしてカリフォルニアはソノマだった。

その”発掘活動”をしている数年に行き渡った様々な土地と風景を、当時エミルは水彩画として残しており、1853年には知人であるクッシェル(Kuchel)と共にサンフランシスコにクッシェル&ドレッセル(Küchel & Dresel)という石版印刷の会社を設立した。その絵画の中には後に仲間と開業することになる際に参考にしたであろうロサンゼルスのワイナリーの風景画もある。

後にエミルは1849年に一度ドイツにもどりリースリング(Riesling:ドイツで古くから栽培されている白ワイン用のぶどう)とシルヴェネール(Sylavaner:これもドイツの白ワイン用のぶどう)を輸入し、1856年に友達のジェイコブ・ガンドラック(Jacob Gundlach)と共に、"ライン・ファーム(Rhine Farm、ドイツの西部に続く川の名前”ライン川(Rihine)"を開業。現スクライブ・ファームのちょうど中央にある”集まり場所”のようなハシエンダ(THE HACIENDA:農園の母屋)は、当時ドレッセル家の居住スペースであった。

彼がわざわざドイツに戻りぶどうを持ち替えた理由。それは、アメリカよりも先に1811年頃にはワインビジネスが確率されていたのがドイツ。
そんな街で生まれ育った彼らが移民として移住した土地であるアメリカ/カリフォルニアは、
ぶどう畑を耕すには絶好の場所であり、アメリカでのビジネスとしては初めての試みであった。

1869年のエミルの死と同時に、兄弟であるジュリウスがライン・ファームを引き継ぐことになるが、後にパートナーであるガンドラックとは離れ、
彼の息子や孫がジュリウスの死後も継承していたものの、後の1920年に始まった禁酒法により閉鎖。

閉鎖とはいえ、"SPEAKEASY(もぐりの酒場)"として、ハシエンダに友達を呼び、ドレッセルのワインとともにお食事会やパーティーを行う際には、
秘密の合図があったという。:ドアをノックし、名を名乗れと言われた際に「ドレッセルlより招待されました」と答えるとその扉が開くシステム。
だからこそ、現在どの都市にあるバーでも隠れバーでも、店名として"SPEAKEASY"と名乗っているところが多いのかもしれない。

ドレッセルが作り上げたハシエンダとぶどう畑「ライン・ファーム」は1919年に閉鎖。
その後、ドレッセル家はハシエンダに住んでいたが後の1941年にドレッセル家の手から知人の手に渡った。

そしてこのハシエンダとハシエンダを囲むぶどう畑に惹き付けられたのが、まだ若干29歳のアンドリュー・マリアーニ。
ユーゴスラビア移民である祖父を持ち、様々な国に渡り経済や国際学を学び、その後最後にいきついたギリシャでのワイナリーでの経験が彼に奮起をおこさせることに。
カリフォルニアに戻ったアンドリューは、カリフォルニアワインの産地であるソノマを立ち上げることになったきっかけをつくったドレッセルのライン・ファームのことを知り、
祖父が同じ土地であるカリフォルニアで成功させたウォルナット産業の資金を元に、ドレッセルのハシエンダを購入。

スクライブ(SCRIBE)。直訳すると、写本筆写士, 筆記者、能筆家。
彼が購入したそのライン・ファームとハシエンダをスクライブ・ファームと名付けたのも、
そのドイツ移民が築き上げたワイン・ビジネスの道を再度自分が継承していきたいという所以から。
ただ彼らの道を辿るのではなく、その道を元にこれからのワイナリーを蓄積することがスクライブ。
彼らの築いたビジネスのコピーでもなく、真似でもなく、築かれた歴史を感じ次の未来のカルチャーを創り上げることを目標にしているのだとか。

SCRIBE WINERYの若きオーナーについては:https://babajiji.com/wp2022/3086